ピックアップシェフ

榎本 哲 ドミニク・サブロン 毎日フルに頭と体を使って働きながら その世界のトップを目指せる仕事と選んだのがパン職人だった。

パンペルデュにアイスをのせエスプレッソをかけた、パンで作るデザート。

3ヶ月の予定でパリ本店に研修に行ったものの、技術を3日間でマスターした。

今年で『Dominique SAIBRON』は、赤坂サカスに1号店をオープンしてから、5周年を迎えました。いまから5年半ぐらい前に、マキシム・ド・パリ(株)から、新規ブーランジェリー事業立ち上げのお話をいただき、現在に至るわけですが、最初は正直、受けていいものかどうか迷いました。当時の心境としては、志賀勝栄さんのもとで5年間仕事し、ブーランジェとして自信もかなりついていたし、今後は独立して自分の店を作り上げたいという気持ちも、少し芽生えていた頃でしたからね。まぁ、でもまだ27歳でしたし、若いうちにもっと視野を広げるということも大事だし、会社に所属することで日本のパンの世界を活性化させる役割を担えるかもしれないと感じ、新たなスタートを切ることを決心しました。実は会社に入って初めて、コラボレーションするブーランジェリーとして『Dominique SAIBRON』の名前を聞きました(笑)。

3ヶ月の予定でパリ本店に研修に行ったものの、技術を3日間でマスターした。

日本で『Dominique SAIBRON』のブーランジェリーをオープンするにあたり、僕が全てのパンをマスターしてくる必要があったので、入社後に3ヶ月の研修の為、パリの本店に行きました。もうそのときはやる気満々で、全てのことをしっかり覚えて帰ってこようと渡仏し、サブロンさんの指導を受けたのですが、3日間で技術をマスターしてしまいました。サブロンさんからも「もうお前に教えることは何もない」とお墨付きをもらいましたが、すぐに帰るのもなんなので(笑)、ひと月、店のフランス人スタッフと一緒に、販売するパンを焼いて、フランスのブーランジェリーと日本のパン屋の違いを肌で学びました。僕はフランス語を全く喋れませんが、作業の工程を見て、パンを触って、焼いて、食べて、という動作だけで同じものは作れます。3日間で技術をマスターできたのも、今までの経験からすれば不思議なことじゃないし、師匠の志賀さんからも「お前は世界のどこへ行っても通用する」と言われていたので、それを実感できた経験でした。
パンの技術以上に、僕に刺激を与えてくれたのは、フランスの食文化の豊かさでした。当初は銀座の『マキシム・ド・パリ』の総支配人と料理長も一緒にパリに滞在していたので、3人でパリのビストロやマルシェを回って食べ歩きをして、食事の中のパンの役割を大いに勉強させてもらいました。お2人が帰国して1人になってからも、毎日パリを歩き回っていました。ルーブル美術館など有名な観光名所にも行きましたけど、それより街歩きをしながらパリの雰囲気に触れる方が、感性が磨かれてゆく気がしました。

パリでいちばん勉強になったのは、食文化の中のパンの重要なポジション。

1か月というと、すごく短い期間のようですが、僕にとってはとても濃密な時間で、願ってもない経験をさせてもらったと思います。フランスで働いてみて、パン職人としての技術は、日本人だって全くフランス人にひけをとらないし、キレイに作る、丁寧な仕事ぶり、という点では、確実に日本人のほうが上だと感じました。しかしフランスには、日本にはない豊かな食材がありました。小麦粉、乳製品、ナッツや果物、塩や砂糖など、どれも輝きのある食材ばかり。日本では粉も数種類を混ぜて焼くのが普通ですが、フランスではほとんど一種類の粉で焼いています。さほど作りこんだパンじゃなくても、素材が良いので、おいしく焼きあがります。それは作り手として、とても羨ましかったですね。
それとパリでいろんなレストランを食べ歩いたことで、料理と一緒に出てくるパン、その両者の関係性について深く知ることができました。いままで働いていたベーカリーでは、食事とパンのマリアージュ的なことは、あまり意識してなかったので、このひと月でパン職人として世界が広がった気がしました。パン単体ではなく、食文化全体の中のパンのあり方を理解できたおかげで、これから東京でスタートする『Dominique SAIBRON』のこと、また自分自身が吸収したことを、パン職人として発揮できることを想像し、ワクワクしていたというか、ね。自分でいうのもヘンですが、自分自身が成長していくのが見えるようで、なんだかすごく楽しい気分だったんですよね。

パリでいちばん勉強になったのは、食文化の中のパンの重要なポジション。

帰国してすぐに開店準備に取り掛かり、スタッフを集めたり、食材を準備したり、忙しいけれど楽しい日々が始まりました。でも3月のオープンまでは決してラクな道のりでもなかったですね。食材本来のおいしさを活かしているのが、サブロンのパンの魅力ですから、パンの粉もクロワッサンに使うバターもパリの店と同じものを使うと決めてスタートしましたが、早々に粉に泣かされました。お取り引き先は同じ小麦粉です、というのですが、舐めただけですぐに違うと感じました。輸送中に劣化していたんです。これでは商品にできないので、今後の粉の輸送には、徹底的に温度管理をして欲しいと、しつこいほどお願いしました。新しい粉を船便で送り直してもらう時間がなかったので、急遽、オープンに間に合うよう粉を空輸。ものすごく高くつきました(笑)。クロワッサンのバターも『レスキュール』がサブロンのレシピですが、日本の良質バターの5倍ぐらいの価格です。とてもやっていけないので、これから毎日、1000個、いや2000個もクロワッサンを焼く店になるから、大量に必要だと、輸入食材のお取り引き先に交渉をしました。そんな風に様々な問題をクリアしながら、2008年の3月に赤坂の店がオープンしました。オープン前に、パンの味を確かめに来日したサブロンさんからは「パーフェクト!」と合格点をもらいました。オープン当日はサブロンのパンを待ち望んでいたお客様の長い行列ができ、嬉しかったですね。

僕にしか作れないオリジナルのエゴイスティックなパンを作り出してみたい。

いま僕の仕事の中で、いちばん面白いと感じるのが、新しいパンを作り出すことです。ちょうど1年ほど前、『マキシム・ド・パリ』から「料理に負けないオリジナリティのあるパンを作って欲しい」と依頼されました。パリでの体験で、食事とパンのマリアージュの重要性を心に刻んでずっと仕事をしてきましたが、「この料理のこのソースに合い、このBIOワインを使ったパンを」という明確なテーマを与えられたので、職人魂に火が付いたというか、いつにも増して集中して取り組みました。パンのことを考え始めると24時間のうち22時間ぐらいは、ずっとアイデアを練っています。家に帰っても色々な食材を買っては試作したりして、気づいたら出勤する時間だったり(笑)。ワインの香りを最大限に活かすことを目指して、粉の配合から、天然酵母まで全てに完璧なものを目指して作り上げたのが『ル・ヴィニュロン』。僕のオリジナルの自信作になりました。
会社のトップ、サブロンさんからは、商品開発はパンだけでなく、今回レシピをお教えした『パンペルデュ』や『タルティ-ヌ』のようなパンを楽しむ商品を、どんどん作って欲しいとも言われています。ちなみに、タルティーヌはルミネ新宿店やルクア大阪店でメニュー化しました。アイスをのせエスプレッソをかける『ショコラ・パンペルデュ』は、使うパンも僕の作った商品で、レシピも全てオリジナルですし、そろそろカフェでも提供したいと考えているメニューです。

僕にしか作れないオリジナルのエゴイスティックなパンを作り出してみたい。

『ル・ヴィニュロン』は1年前の僕の最高傑作でしたが、あの商品が終着点ではない。サブロンから教えてもらったクロワッサンやルヴァンを超えるような美味しいパンを、これからもっともっと生み出さないといけないと思っています。
そして職人としての未来を考えると、いつになるかは分かりませんが、思いっきり自分を表現するオリジナルのパンを作り出したいですね。もっと我を出したエゴイスティックなパン、と言うのかな。パンで自分を表現できるような、「榎本のパンてこれだよね」と、即座に言われるようなパンを確立したい。それがパン職人としての“第一歩”じゃないでしょうか。もちろん今の仕事も精一杯やっていますけど、サブロンの下で仕事しているわけですから、いわば研修生と同じだと思うんです。いつかは翼を広げて、高く飛び上がりたい。その夢を叶えるために、毎日パンと向き合って必死に努力しているんですよね。だって「榎本はあんなこと言っていたのに、たいしたことないな」と言われたら悔しいですから(笑)。

バニラアイスとエスプレッソのショコラ・パンペルデュ

バニラアイスとエスプレッソのショコラ・パンペルデュ

コツ・ポイント

アパレイユに浸したパンは焦げ付きやすいので、火加減に注意しながらじっくりと焦げ目がつくまで焼く。 エスプレッソをかけたら、なるべく早く食べましょう。 ※調理時間は、パンを浸す時間を含めています。

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